Column

筒描染に関するコラムやお知らせなど


描きたいと思った情景や色彩を、植物の姿に寄せて染めています。
あるいは描きたいと思った花に、情景や色彩を落とし込むこともあります。

あくまで経験したこと、見聞きしたことに根ざしています。

一輪の花を描くときには、出会ってきた人々や本の一場面などが浮かび、風景を描くときには、幼少期を過ごした田舎町の草っ原や庭の様子などを辿っています。そして日々、写真を撮りスケッチをします。

私にとって描くことは、例えば冬の匂いを思い出すことや、ふと歌を口ずさむこと、絵本のページをめくる感覚のような何かしらの空気を頭の隅に覚え、色や形を再構築していく行為です。
これを「記憶と観察の間に漂うリアリティー」と呼んでいます。この過程で絵に性格が生まれ、やがて歩き始め、語りかけてくるようになります。



「道」「庭」「島」といった、人の記憶が交差するような空間が常に私の内側にあり、その主題は人生そのものでもあるような気がしています。
人生は、進むことと休むことの連続で形作られていると感じているからです。

何も壮大な出来事を表現しようというわけではありません。
私たちは、連続する内外的な選択の先端で日々を生きています。そんな日々の隙間でチラリと反射する心の風景のようなものを写したいのです。つまり「記憶と観察の間に漂うリアリティー」でもあります。

歩く姿、立ち止まる横顔、休息する様子を描くことが多いですが、その時々の私自身の感情で半ば無意識に選びとったものでもあります。
しかし、これらを通じて私が作りたいアートは、目の端に映ると嬉しいもの、機嫌良く眺めていられるものです。
一輪の花が部屋に呼吸を思い出させてくれるように、生活に色彩を投じ、温かい記憶を呼び起こすようなものでありたいと思います。

一方で、私の感情や感覚に準じているからこそ、ある種の内省的な作品が生まれてしまうことがあります。
もしかするとそれは私自身のための制作であり、人に見せるものではないかもしれません。
あるいはもしかすると、明るい世界を見る準備ができていない心に、寄り添うことも。

私の作品を見て「心の温度が上がる」と言ってくれた方がいます。
願わくばそんな作品を作り続けたい。
でも常にそうである必要はないと、最近は思うようになりました。


なぜ染めなのか、なぜ筒描染なのかとよく問われます。
率直に言えば、ただそれが自分にとって自然な行為であるためです。
また、絵とも染めともつかない筒描染の不思議さと、色材である色糊を自分で作る面白さに未だ飽きることがないためでもあります。

筒描染はどんなにキチッと描いてもどこかゆるやかな雰囲気を残してくれる技法です。
筒とは、柿渋紙やフィルムをアイスのコーンのように円錐状にしたもので、その先端から糊と呼ばれるペーストを押し出しながら描いていきます。中でも染料を予め混ぜた色糊は、特有の均一でマットな発色が美しく、筒先から生まれる独特の筆致と相まって、他の絵画技法にはない味わいを発揮します。

布は平面にも立体にもなり得る自由さを持ちつつも、絵具や彫刻の持つ物質的存在感は強くありません。
しかし、そのやわらかさが、私が表現したい色彩を優しく受け止めてくれることに惹かれ続けています。